なぜ日本ではなくアメリカの大学に進学する必要があったのか。

先日のシェアブロードのイベントで、親を説得するためのスライドを作っている高校生に会いました。


話を聞くと、親御さんには「リベラルアーツ教育や英語を使った授業が魅力的なのであれば、ICUなど日本の大学でも十分。なぜ『アメリカの』リベラルアーツ大学である必要があるのか。」と言われているそうです。


もちろんスライド作りに必要な情報は伝えましたし、その高校生が親御さんとどんな話をして、どんな進路に落ち着くのかは彼女の選択です。


しかし、アメリカの大学で一年間を過ごした身として、アメリカの大学である必要性を強く感じるのに上手く説明できないモヤモヤを、イベントの後もずっと抱えていました。


そして先日、ちょっとそのモヤモヤの答えを見つけたのです。


だから今回は、どうして私が日本のリベラルアーツではなくアメリカの大学に進学する必要があると感じるのかについて、親の応援をなかなか得られない高校生に向けて書きます。


これをそのまま親に見せるもよし、これを読んで考えたことを自分の言葉で伝えるもよしです。好きに使ってください。


その高校生の質問を思い出したきっかけ

私が質問の答えを見つけたのは、去年は新入生として参加した留学生オリエンテーションに、運営スタッフとして参加していた時のことです。


運営スタッフ仲間の留学生と会話をしている時、「あぁこれだ。これがここでの生活だ。最高だ。」と思う瞬間があり、それと一緒に、彼女のアメリカの大学である必要性についての質問を思い出しました。


その会話に参加していたメンバーは、ガーナからきた私と同じ二年生の子と、リトアニア・ナイジェリアから来た三年生の男女。


話題はアメリカの人種差別についてで、表現の制限は意味があるのかどうか、人種差別をなくすにはどうすればいいのかなどの話をしました。


曖昧に要約してしまうとあまり伝わらないと思うので、具体的に書きますね。それぞれ個人の意見なので、国全体への偏見にしないようにしてください。


キャンパスの大部屋でした実際の会話

(記憶に基づいているため完全再現ではないです)

ふと、ナイジェリアから来た女子(以下N)が、リトアニア出身の男子(以下L)に彼の国では何語を話すのか聞きました。


N:リトアニアでは何語を話すの?

L:25才以上の人はロシアに編入されていた時代だからロシア語も話すけど、リトアニア語がメインだよ。ロシアに嫌悪感を持っている人が多いから、もうロシア語はあまり使わない。

N:そういえば、リトアニアはどうやってロシアから独立したの?戦争とかがあったの?

L:ソ連が財力的に弱くなっていったのに合わせて…(以下歴史の話。まとめると、死者は少ないもののクーデターのようなものが決め手になり、1990年に独立を宣言。)

L:ナイジェリアは?

N:学校では読み書きがメインで歴史はないから、実は知らないんだよね…。


(その後、いつの間にかアメリカの人種の話に)

L:じゃあさ、どうすれば人種差別を無くせるか知ってる?この間さ、モーガンフリーマン(黒人俳優)がインタビューを受けて、こう言ったんだ。「どうすれば人種差別をなくせるか?人種について話すのをやめるんだ。私は君を白人と呼ばないし、君も私を黒人と呼ばないでくれ。僕は君の名前を知っているし、君も僕の名前を知っている。」

N:でもさ、肌の色が黒いのには変わりないじゃん。黒は黒じゃん。だからなんか…。

N:そもそもさ、なんで「アフリカン」アメリカン(Blackの代わりにAfrican-Americanを使う流れがアメリカではある)なわけ。アフリカにはモロッコみたいにいろんな肌の人がいるのに。


(ここで、ガーナ出身の女の子(以下G)が参加し、話題は先学期に映画専攻の生徒たちが、アフリカについての映画を撮影した時の話に移りました。)

G:あの映画を撮影するって聞いた時、私はあまり乗り気じゃなかったの。アフリカって言ってもいろんな国があって文化があるわけ。それを一本の映画にするっていうなら、相当気をつけて、これがアフリカ!アフリカ人はみんなこう!っていう偏見を与えないようにしなきゃいけないの。だからそれができるのかってちょっと心配だった。

L:あぁ話し合いがあったよね。

私:なにそれ知らない。

G:黒人の生徒で構成されてる学生団体と、アフリカ出身の留学生で構成されている学生団体の話し合いがあったの。

L:大変そうだったね。

G:そう。黒人団体のメンバーの一人が、その前にあったアフリカの文化を紹介するイベントになんで参加させてくれないんだって抗議し始めて。こっちは別にダメとは言っていないのに。別にアフリカの服を着るなとは言ってないんだよ。ただ、着るなら私たちの文化を尊重してほしいって言っているの。


これらの会話が意味すること

とても断片的になってしまいましたが、私にとって印象強かったセリフや会話のイメージがつくように会話を再現しました。


なぜこれらの会話が印象的だったのか。それは、私がどれだけ狭い世界を生きて来て、どれだけ無知かを思い知ることができたからです。


日本にいたら、日本が世界でも珍しく植民地になったことがない国であることを忘れ、他国に文化や政治運営を変えられたという嫌な思い出を持った人の気持ちに気付けないでしょう。2018年現在でも、いつロシアに侵略されるかわからないと怯える友人に、背が高くて目が青くて肌が白いからと言って「ロシアから来たの?」と聞くのは失礼なんです。


上記の会話のように、自分たちの文化を誇りに思いアメリカ人を批判するアフリカ人の友人がいる一方で、「もうアフリカ人は自分たちを仲間だと思っていないし、白人は自分たちをアメリカ人だと認めてくれない。板挟みなの。」と困り顔で話す黒人の友人も私にはいます。


兵役に付いていたキプロス出身の男子は、私と同じ大学二年生だけれど現在23歳です。彼になぜ私とそんなに歳が離れているのかを聞くまで、私は世界に兵役をこなさなければならない同い年の人がいることを忘れていました。


日本の大学にも留学生はいるでしょう。でも、彼ら彼女らは日本が好きで日本に来ています。アメリカの大学では、日本に興味を持ってくれない学生もたくさんいます。日本の歴史のことや食文化のことをキラキラとした目で聞いてくれるのは、一部の人なんです。


だから、夏休みに日本に入り浸り、美味しくオシャレな食事や旅行に明け暮れていた私は、毎日の何気ない友人との会話がたくさんのことを教えてくれるこの環境のことを思い出し、「あぁこれだ。だからここじゃなきゃダメなんだ。」と、思いました。


これらを踏まえて高校生にメッセージ

私も、当初は親に取り合ってもらえず、どうすれば海外に行くことを応援してくれるかを考えました。


親がアメリカの大学を否定する理由は学費だったので、それこそ無いものは仕方がないと、途方にくれたものです。


しかし、セミナーに連れて行ってアメリカの大学に通う先輩の話を聞いてもらい、多くの学生を海外に送り出したアドバイザーの人と直接話してもらうことで、アメリカの大学の魅力や私の本気度を伝えると、学費もなんとかできそうだということが分かりました。


もちろん日本でしか学べないこともたくさんあるし、アメリカの大学はお金がかかるのも事実。たくさんの困難にも直面するので、気軽な気持ちで選ぶべき選択肢ではありません。


それがわかっているからこそ、人生経験が豊富で未来を見据えることができる親御さん達は、あなたの夢に反対しているのかもしれません。


親御さんが引っかかっている部分を見つけ話し合い、それならばと送り出したくなるような自分の将来設計を作るのは、高校生の皆さんの仕事です。


でも、実際に大学生活を送ってみなければ説明できないこともたくさんありますよね。だから、その部分を少し代わりに話してみました。


学校での文理選択が始まる高二の終わりまで全く進路を考えずに部活に明け暮れていた私が、本当に自分が今何を学びたくて、今後社会にどう貢献するべきなのかを真剣に考えるようになったのは、確実にアメリカ大学受験のおかげです。確実に、あれは人生のターニングポイントでした。


そしてキャンパスで一年を過ごし、また新たな一年を迎えようとしている今、私は確実に新しい世界を見つけています。それこそ、地図が日本地図からどんどん広がっているような。


だから、日本の大学にも良いところはたくさんある。それは百も承知で、もし高校生がアメリカ大学を受けない理由が自分の中ではなく、親とのコミュニケーション不足にあるのだとしたら、それはもったいないと感じてしまいます。期限内にTOEFLの点が伸ばせるかなんてどうでもいいんです。


高校生も、なんで分かってくれないんだだけではなく、きちんと自分が何に魅力を感じていて、アメリカの大学にはどんなサポートがあるから自分がやっていけると思うのかを、説明するようにしてくださいね。(高校生だった自分に向けた言葉でもあります。笑)


では、親子揃って納得した進路選択ができるように、応援しています。


2018/09/10 amu

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