お久しぶりです。ニュージャージーのスティーブンスという大学に通うYukiです。
先週末ニューヨークの大学に通う日本人の友だち(Nと呼びます)と食事をした際に、日本とアメリカでの社会の風潮とそれに対する個人のあり方が話題になり、普段あまり考えたこともなく興味深かったので、今回はそれについて書こうと思います。
日本の社会って生きやすいでしょうか?
空気を読むとか、礼儀や和を重んじ、他人の中で自分がどうあるかを大切に考える集団的な社会です。この記事はそのような社会は生きにくいと感じる人が書いたものです。
皆さんはどうでしょうか?自分がこの記事を書こうと思ったのは、Nに「留学生は色んな面白い人がいるけど、あなたはその中でもレアだよ。」と言われたからなのですが、自分も同じように感じています。
特に日本の社会には間違えていること、言い換えると社会の成長を遅らせる要素と、それを受け止める人々が普通に存在しています。それを受け止めるということが社会で上手く生きていくということに直結してしまっているからです。
例えば、自分は高校時代に、部活の大会をテスト期間内だからという理由で辞退させられたことがありました。
またNは、「特別に親しくない日本人と一緒にいると、どう行動すれば空気を乱すことなく場を盛り上げられるのか考えたり、それぞれがどう思っているのか分析したりしてしまい、すごく疲れる。」と言っていました。
もちろん、社会の風潮に従えば、軽蔑されることもなく周りからの評価も得ることができます。
他人の評価を気にしすぎたり、言いたいことが言えなかったりする環境にいませんか?納得のいっていない環境を当たり前のものとしてないでしょうか?
アメリカは日本と真逆の多民族国家です。まわりとの協調性というのは日本に比べてあまり求められず、個人の意見を持つことが大切とされる社会です。
裏付けとまでは言えないかもしれませんが、Nは日本の社会に適合するように教育を受けたものの生きづらいと感じ、中学卒業後に日本から出て、アメリカの高校に進学しました。
自分は逆で、その日本社会の中で反抗しながら生き、我が道を歩んできたタイプです。
二人ともアメリカでは楽に生きていけると感じています。就職も、二人ともアメリカを希望しています。
話は少し戻りますが、自分は「レア」なタイプです。日本の社会は間違いが多いと思い、社会の常識を無視し、自分をずっと信じて第一に考えてきた人です。
それでも自分は自分の生き方が好きだし、周りの日本の留学生からもその性格を褒められることが多いです。
日本国内でもそういう人が増えてほしいというのが本音です。最近変わりつつあるかなーとも思いますが、他人に協調することによって個の可能性を殻に閉じ込めてしまっているように思います。
自分の意見を闇雲に発言するよりも、まずは、他人の意見を認めることを大切にしたほうが良いかもしれませんね。
2018/11/4 yuki
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