はじめまして。9月から、マウントホリヨーク大学という女子大に進学する碧砂です。
今となっては無事進学先が決まり、来る4年間の留学生活に心を躍らせていますが、受験までの数年間、結果が出ず涙をのむことがほとんどでした。
私が海外大進学を考え始めたのは高1でした。先輩や学外で会った人たちがあまりにもまぶしくて、素敵で、こんな生き方をしたいという憧れから興味を持つようになりました。
受験期、自分と人を比べては劣等感を覚え、ただただ周りに圧倒されていました。小さいころからずっと海外大学進学を目指してきたような帰国生を見ては、準備の進捗度合いが違いすぎて焦りを感じていたし、校外の大会で華々しい成績を多く残していた同期を見ては、自分も何か結果を出さなければいけないとがむしゃらに動き始めて、課外活動の本質的な意義を見失ったりしていました。
多くの受験生が同じように焦りを感じ、そして、結果がでなかったことにかけた時間や労力が無駄だったとネガティブに捉えてしまうこともあるのではないかと思います。ただ、受験生のみなさんには、逆にそんなネガティブな感情をばねにしていってほしいと思い、この記事を書かせていただきました。
奨学金の話
私は、夏休み前と9月上旬に募集があった2つの奨学金に応募しましたが、どちらも不合格でした。
この結果を前に、あの応募書類の作成にかけた時間でTOEFL何パッセージ読めただろう、エッセイどれだけ進められただろう、と考えていました。
そうすると全て無駄だった気がしてきてさらに落ち込むんです。自分は何も持ってないんだと思い始めるともうネガティブの連鎖です。けれど、そのネガティブも原動力になります。向上心に変えて、次へのモチベーションにするんです。結果から目をそらさず、じーっと耐えて前に進み続けるんです。
今一つ言えることは、あそこでの不合格がなければJASSO(11月ごろ)への合格はなかったということです。
2つの奨学金の応募書類を作ったことは、海外大学への志望動機を言語化し明確にしていく最初の一歩でした。
夏の段階ではまだまだ曖昧だった海外大へのイメージも11月にはかなり固まっていて、JASSOの応募書類では、大学で何を何のためにやりたいのかを詳しく文章で書くことにそこまで苦労しませんでした。
また、自分は落ちて、他の誰かは合格したというわかりやすい形で負けた経験は、次こそはと大きなモチベーションになりました。今まで以上に時間を費やすようになり、また人に自分の考えていることを話して言葉での自己表現を積極的に行うようにしました。
身近な人に自分の考えを伝えられないようでは、顔も見えない奨学金の書類審査官には伝わらないと思ったからです。
夏休み前に一回落ちて、9月にもう一回落ちて、というのは必要なステップだったのかなと今では思ってます。
最後に
失敗は宝だとよく言われますが、本当にその通りだと思います。
悪い結果に落ち込むなとは言いません。けれど、そこで自分を潰さずにぐっと踏ん張ってください。ありきたりな言葉ですが、失敗から得られることはいくらでもあります。逃げないでください。時に周りの人の力も借りながら、踏ん張ってみてください。
また、海外大学受験において、バックグラウンドが大きく違うような他人との比較は必要なかったと、受験終わった今思います。大学は、受験生一人一人を見て合否を決めてくれます。他人との比較で “自分らしさ” を潰してしまうのが一番だめです。
他人を見るくらいなら、その時間で自分をもっと見つめなおせ。私はそのように言われてハッとしました。自分らしさの追求が必須となるこの海外大受験、辛いことも多いと思いますが、終えてみると、やってよかったなと強く思います。
長文となってしまいましたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。ちなみに、私の受験期の合言葉は「きっとうまくいく(ALL IS WELL)」でした。大好きなインド映画(3 idiots)に出てくるフレーズです。受験生の皆さん、息抜きがしたくなった時にぜひ見てみてください。それでは。Keep up!
2019/7/21 碧砂
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