「合わないな」の思いでニューヨーク州立大学から編入:最初の学校が合わなかった理由

一年生の終わりに、ニューヨーク州立大学ジェネシオ校からノースカロライナ州立大学ウィルミントン校に編入したmarinです。


今回は、私の編入という経験から得た学びを、二つの記事に分けて話します。


目次
・最初の学校を選んだ理由
・大学でのホームシック

・編入を決めたきっかけ


最初の学校を選んだ理由

まず、私は一般財団法人海外留学推進協会という機構を通して ニューヨーク州立大学ジェネシオ校のみにアプライしました。この機構はいくつかの海外大学と協定を結んでおり、その枠の中の大学にアプライして合格すると幾らかの奨学金がもらえる という物でした。


アメリカの大学はもともとの授業料・生活費が合わせて1年間で約300万〜800万円とかなり高いため、私は少しでも奨学金をもらいたいと思っていました。そのため、 そこと協定している大学の中から「私が一番行きたい!」また、「一番自分に合うだろう。」 という理由で一番最初の大学を選びました。


私が、その大学が自分に合うだろうなと思っていた理由は大きく2つありました。


まずは、馬術部があったことです。私は3才ぐらいの時初めて大きな馬に引き馬で乗り、その頃から馬がずっと好きで、馬術を本格的に習ってみたいと思っていました。ですが、東京にはあまり馬に乗れる場所はない上、見つけてもとても高く通うことができませんでした。そのこともあり、「アメリカの大学に行けば、ずっと夢だった馬術を習うことができるかもしれない!」という思いがありました。幸いにも、ジェネシオには本格的な馬術チームがあり、私はすぐにこの大学に興味を持ったのです。


2つ目の理由は、コミュニケーション専攻が大学にあったからです。もともと、アメリカの大学に行くために親を説得する理由として、「国連職員になりたい!」と言い続けていました。しかし、後から色々調べたり、考えたりし、「私は本当に国連職員になりたいの?国際関係を学びたいの?」と思い直しました。後から考えて、私が気づいたのは国連職員というのはただの説得理由であり、私が本当にやりたいことは「メディア関係やエンターテイメント系だ!」ということでした。そのため、私は大学に入る前から「コミュニケーションを自分の専攻にする!」と決めていました。


結果、私は奨学金がもらえたこと、馬術部が存在したこと、コミュニケーション学を専攻できることを理由にニューヨーク州立大学ジェネシオ校を選ぶことになりました。


大学でのホームシック

一言でいうとすれば、大学が「合わなかった」 のです。皆さんもお分かりかもしれませんが、あくまで私の個人的な意見や視点なので、大学に非があったわけではありません。


私が「この大学は合わないな。」と思い始めたのは、1年生の冬休みが終わり、二学期に突入した時期でした。


カナダ近くのアメリカの北の方に学校が位置していたこともあり、雪が降り続く毎日を過ごしていました。冬休みに日本に帰国したということもあり、日本にいる家族や友達を思いホームシックになっていました。「まあ、すぐホームシックなんて感じなくなるだろう〜」なんて軽い気持ちでいたんです。ですが、ホームシックが治ることはなく、むしろひどくなっていきました。


アメリカの大学に戻ってきてから、毎日涙を止めることができませんでした。同じ大学にいた日本人の子達に、私は毎日、「日本に帰りたい…なんで私はこんな苦しい思いをしながら、毎日こんなとこで勉強しなきゃ行けないの…」と言っていました。


私は楽天家でどちらかというといつもポジティブな考えを持っているタイプだったのですが、ネガティブなことしか言葉にできなくなっていました。当時は寮に住んでいたのですが、ルームメイトが代わったということに対しても、すごくイライラしてしまっていました。


「一人のスペースが欲しい。一人になれる場所が欲しい。ゆっくり誰もいないとこで泣きたい。」なんて考えていたと思います。多分、軽い「うつ病」になっていたのではないでしょうか。私も「どうしちゃったんだろう自分?こんなにひどく暗い気持ちになったことないのに…」と毎日思うようになっていました。


暗い気持ちやホームシックは良くなるどころか、毎日どんどんひどくなっていきました。日に日にネガティブな考えが深まって行きました。約2〜3ヶ月の間、ご飯もほぼ喉に通らない上、大学の勉強も全くと言っていいほど手についていませんでした。


授業中も泣きそうになってしまい、涙を堪えるので必死でした。たまに「だめだ...」と思った時は、急いでトイレに行き、またもや泣いてしまっていました。効果はほぼなかったのですが、大学のカウンセラーのところにも何回か通いました。


お母さん やお父さん、日本人のお友達、また高校の時アメリカに留学していた頃にお世話になっていた ホストファミリーに電話やテキストで毎日相談していました。私は一学期間大学を休もうか、 またアメリカの大学を辞めて日本の大学を受け直そうかと本気で悩んでいました。


お母さんから、
「あんまりなら、(日本に)帰ってくる?」

「ママは少し遠回りしても良いと思う。」

と言われた時、涙が止まらなかったです。


なぜ、この大学にきたのかということが全く思い出せず、全てを見失っていました。


でも、お母さんに「でも、もしここで日本に帰ってきたら、あなたはどうするの?もう多分、アメリカにはあなた戻らないと思うよ。今から、日本の大学受験の勉強をやり直すのは大変だよ。」と言われた時に、言葉がありませんでした。

私も心の中ではっきりと、

「もしここで日本に帰ってしまったら、絶対あとで後悔する。そして、二度とアメリカには戻ってこないだろう。そして、私の1つの夢も終わるな。」と、分かっていたからです。


大学を変えたくなった理由

私がジェネシオが「違うな」と思った理由は、先ほど述べた精神的なものの他にもいくつかありました。


1つは、「コミュニケーション学部のあり方」でした。私は、この大学に入る前、コミュニケーション学部の子もたくさんいるものだと思っていました。しかし、この大学はコミュニケーション学を学ぶ学生が少ないようで、なかなか私と似たような目的を持つ子を見つけることができませんでした。「テレビの部活もある」と大学のホームページには載っていたのですが、実際は廃部寸前のクラブ人数が二人しかいないようなもので、とても私はショックを受けてしまいました。


この時私は、「何か違うな」と思いました。そうなってくると、私がこの大学にいる理由は 「馬術部のみ」でした。私は、運よくも、馬術をやったこともないのにも関わらず、try outと いうチームに入るための厳選テストに合格させてもらい、初心者枠で大学の馬術チームにいれ もらうことができました。


チームとは大学のために戦うということで、コーチ料は取られない代わりに、「最低、週2の レッスンと週2のhackと呼ばれる自主練、そして、週1の馬小屋掃除の係」が条件でした。私 は合格するとすぐに、喜んでこの条件を飲んで馬術チームに入りました。チームに入れたおかげで、遠征先のホテルは無料で泊まれる上、遠征先で毎回訪れるレストランでただ飯を食べる ことができました(笑)。馬に乗っている間はすごく幸せでした。レッスンが厳しい時もあったり、なかなか思い通りに馬をコントロールできずに悩んだこともあったりしましたが最高の時間でした。


ただ、コーチが所有する約200頭近くの馬の中からレッスンや自主練の前に振り分けられた馬を、自分で大きな荒野から探し出して連れてこなきゃいけないのが一番の試練でした。大きな動物なので、「向かって走ってこられたり、走って来たりしたら逃げなさい。」というようなことをコーチから言われていたのでドキドキしながらいつも放牧された馬の間を通っていたことを覚えています。


1時間近く歩いても、特定の馬を見つけることができずに焦ったことも何回もありました。ですが、私は大学生活でこの経験は宝物となりました。しかし、私がアメリカの大学に来た一番の目的は「馬術部」ではないと分かっていたので、気候が私の精神的状態に関わっていたということもある上、コミュニケーション学部で学べることが限られてしまうなら、「転校すべき」という結論に至りました。


編入を決めたきっかけ

ホームシックに苦しみながらも約2ヶ月がなんとか過ぎていき、3月の春休みに、高校の時に特にお世話になったホストファミリーが住むノースカロライナ州へと遊びに行きました。久々にホストファミリーと彼らの犬ちゃんたちに会えるということで、すごくワクワクしていました。


空港に着くと、すぐさまホストファーザーがハグをしてくれて心が落ち着いたのを覚えています。 私にとってはノースカロライナは日本と同じくらい大切な場所で落ち着く場所でもありました。なぜなら、「アメリカの家族」がいたからです。


彼らは、私の本当の家族のような人々でした。彼らはすでに私に何が起きていたのか知っていたので、とても心配そうにしていました。私は、ここ2ヶ月間でどう過ごしていたか全てを改めて話しました。するとホストファーザーが、「ノースカロライナに移って来てよ!良い大学たくさんあるよ!」と言ってくれました。


それをきっかけに私は、2018年(去年)の3月ごろから本気で 「新しい大学」つまり、転校できる大学探しをはじめました。


“Campbell University in Buies Creek, NC State in Raleigh, UNC in Chapel Hill, Duke in Durham, East Carolina in Greenville, etc... and “とノースカロライナにある大学のリストまで送ってくれました。


そして、「あっ、ビーチの近くにある大学で、ノースカロライナ州立大学ウィルミントン校っていうところがあるよ。そこなんか、ぴったりじゃない?馬術部があるかはわからないど、綺麗な学校だし、調べて見たらいいんじゃない?」このホストファーザーの一言が、私の現在通うノースカロライナ州立大学ウィルミントン校と出会うきっかけになりました。


私はこの大学のウェブサイトを開いた瞬間に興味津々になって、片っ端(大げさかも笑)から色々なページを見て、 すぐに、「あっ、ここだ。絶対ここだ。ここに行きたい」と思うようになりました。


次回は、実際に新しい大学の何が好きだったのか、そして今回の経験から私が学んだ教訓についてお話しします。


2019/04/06 marin

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