白人中心からAffirmative Actionに移行した時代の経験から人種差別を考える:50年前のアメリカ大学留学をリモートインタビュー②

こんにちは。sariです。Wesleyan Universityの卒業生、前田省吾さんをお迎えしての第2部。アジアで反日暴動が起こるなか、学校の反対を押し切り静岡から渡米することになったきっかけや大学での生活についての前回の記事に続いて、今回はアメリカの大学生の社会運動、”多様性”の裏に潜む大学の排他性について伺いました。


目次:

  • バブルに住まう運動家たち〜アメリカ学生運動と、社会との乖離〜
  • “多様性”の標榜と排他性〜Affirmative Actionから見た大学の社会的役割〜
  • 編集者のコメント


<前田正吾さんの経歴>

静岡県出身。藤枝東高校卒業後、グルーバンクロフト奨学生としてWesleyan Universityへ進学、経済学を専攻(Class of 79)。大学卒業直後、Columbia Universityの大学院へ進学し国際関係学で修士を取得。その後野村グループ、ゴールドマンサックス、シュローダーなどで金融のキャリア(ファンドマネジャー)を持つ。現在はグルーバンクロフト基金業務執行理事を務める。


バブルに住まう運動家たち〜アメリカ学生運動と、社会との乖離〜

Wesleyan大学で開かれた抗議集会の様子。(引用


みなさん、それでははじめにこちらの動画をご覧ください。アメリカの大学、特にWesleyan Universityをはじめとする、リベラルアーツ大学の特徴をよく捉えている動画です。


政治的に”リベラル”な生徒が、社会に蔓延する政治的・経済的不条理に対しアクティビズムでもって反抗する。そしてそのような活動を”政治的によし”とする大学が描かれています。アメリカの大学生は、社会や政治に対する関心が、昔も今も変わらずあるように思えます。


1970年ごろには日本でも学生運動が活発化していたそうですね。そこから太平洋を越えた地球の反対側で、「一般社会から切り離されたバブル(泡のような理想郷)」のようなアメリカの大学で行われた学生運動は、前田さんからみて当時どのように映ったのでしょう。


Q. Wesleyanの生徒は社会運動に対する意識が高い傾向があるように思うのですが、そのような校風に対してどんな印象を抱いていましたか。

 社会正義を掲げているっぽい人たちを斜めに見ていました。すごくナイーブな人たちだと感じていました。

 日本人として恥を書くような行動はしたくないと思い勉強にいっぱいいっぱいだったこともあって、あまり大学内で起こる社会運動を追っていませんでした。でも一個覚えているのは、「セクレタリー(大学の実務を行う役職の人)の賃金を上げろー!」という学生たちの運動。当時それを見て、我々の学費が上がるだろうと思っていました笑。学生新聞には結構過激な思想を掲げていることが多かったです。セクレタリーの件や、人種差別に対するコラムも掲載されていたのではないかとおもいます。

前田さん撮影

Q. ちなみに、その社会運動に対する意識の高さは学内だけでしたか、それとも州全体において社会運動に対する意識が高かったのでしょうか。

 大学自体がアメリカの一般社会から孤立した環境で、周辺の街と生活レベルやインカムのレベルが違っていた印象を受けました。金持ちの子供が学校に通っている感じ。あまり街と大学同士の交流はなかったんじゃないかなと思います。


 YaleやAmherst Collegeなどの郊外に位置するアメリカの大学は、その近隣全体が大学産業として機能していることが多い。大学の周りには、教授はもちろん、ダイニングホールで働く料理人、さらには寮を清掃する人など様々な経済的バックグラウンドを持つ人が暮らしている。


 比較的インカムが高い生徒が集まって繰り広げられたプロテストを、労働者階級に属している近隣住民はどのような目で見ていたのか。社会正義を真っ先に掲げ、学生運動という形でを社会に対する抵抗を表現する生徒たちに拍手を送る一方で、掲げているビジョンが机上の空論だったのか、独善的な活動だったのか、複雑な気持ちで聞いてしまう自分がいました。


“多様性”の標榜と排他性〜Affirmative Actionから見た大学の社会的役割〜


Affirmative Actionという言葉をみなさんはご存知でしょうか。社会において不利益を被っている経済的に恵まれない生徒や、アフリカ系アメリカ人を積極的に受け入れることで、アメリカ社会にある不平等を解決しようとする運動のことです。


公民権運動などの兆しが見える前、20世紀前半は、大学はアフリカ系アメリカ人や女性の入学を禁止し、裕福な白人の男性しか受け入れていませんでした。前田さんが卒業したWesleyan大学も例外ではありません。Wesleyan大学設立当時の1872年から1912年までは、当時でも珍しい共学という教育スタイルを貫いていましたが、1912年から1970年まで男子校へと姿を変えていました。その後は共学として機能していたものの、人種的、経済的にマイノリティの生徒は少なかったようです。15回目の同窓会開催アルバムがそれを物語っています。

同窓会で公開された1966年のWesleyanの様子。白人男性が多くを占めていることがわかる(引用

人種マイノリティや経済的に恵まれない生徒がWesleyanのような優れた機関で教育を受けることができるということは、彼らが社会的、経済的地位を高める可能性がぐんと高まることを意味します。


ですが前田さんからお話を伺うと、Affirmative Actionはアメリカ社会における格差を解消できる万能薬という訳でもないことに気づきました。この章では、大学が共学になり、積極的にマイノリティを受け入れようとし始めた気風、そしてそこで感じた大学の排他性、Affirmative Actionの限界に関して伺いました。


Q. 当時大学にいる女性生徒(の数)にはどのような感想をいだきましたか。驚きましたか。

 多いとも少ないとも感じませんでした。みんな結構ぼろい服着ていたり、化粧しない、ムダ毛処理しないとかにずっと驚きました。女性の「こうしなきゃいけない」に反発するような人が、一定数いた気がします。


Q. 教授の人種の割合に対してどのような印象を受けましたか。

 白人、Caucasianの教授が学校を占めていました。経済学専攻だったため経済学を中心にとっていたけれど、白人が多かったです。学内にアフリカ系アメリカ人の教授はいたけれど、African American studies系にいたため、授業をとったことなかったです。それほど白人の教授が多かったです。


Q. 1965年からWesleyanは積極的に有色人種を受け入れ始めましたが、在学当時の有色人種の割合に対してどのような印象を受けましたか。

 Affirmative Actionの影響で有色人種を積極的に受け入れようとしていたので、ラテン系は比較的多い印象でした。しかし台湾に留学から戻ってきて中国語のTA(Teaching Assistantと呼ばれ、教授の補佐として生徒を教える手伝いをする生徒のこと)をしていた時に、プエルトリコからきた生徒が授業についていけないことがありました。


 70年代〜80年代はAffirmative Actionの議論が白熱していた時期でもあり、Reverse Discrimination(逆差別)という考え方の絶頂期でもありました。Californiaで白人が、「自分が大学に入れなかったのはAffirmative Actionのせいだ」ということを訴えていた時期だったんですね。有色人種を受け入れていたけれど、その分十分な準備ができておらず、授業についていけない生徒も多かったのかもしれないなあと。学校ではそれもしょうがないと思って有色人種を受け入れていたと思うんですけどね。


 最近Black Lives Matterのムーブメントなどがあるけれども、やはり簡単な問題ではないなとも思いました。アメリカに行く前は人種差別に対してひどいなーぐらいに思っていたのですが、実際に行ってみて、アメリカは努力はしているものの簡単に解決できるようなことじゃないんだなと感じました。

ディスカッションの様子

もちろん、大海を超えた国の問題は我々日本人に関係がなく思えるかもしれません。しかし、そんなことは決してありません。日本でもいわゆる”外国人”に対する差別は続いているし、女性に対する偏見、性役割の押し付けなどのケースはとどまることを知りません。特にコロナウイルスの影響を受けて、そのような人権に関する問題が浮き彫りになったような気がします。


私たちができることは、アメリカのBLM、および女性の人権運動の動向を注視したり、日本における”外国人”や女性、LGBTQの社会的地位を考え直したり、家族や友人と話し合ったり、時にプロテストに参加すること。それらの小さな活動が日本社会、ないしは世界全体を変えるきっかけに必ず繋がります。前田さんとお話を重ねながら、筆者はそんなことを考えました。


編集者のコメント

その後わたしたち編集者は、Affirmative Actionに関して白熱した議論が交しました。

sari:確かに、有色人種の人が頑張って大学に入っても、付いていけないのであれば高い成績をとることもできず、社会階層を上昇することができるような機会も遠のいてしまうのだからAffirmative Actionには限界があるのではないか。


mihhy:しかし、今まで出会うことのなかった社会的、経済的バックグラウンドをもつ人と接することができるという意味でAffirmative Actionは社会的に意味のある活動ではないのだろうか。


natsumi:1970年代のAffirmative Actionのように、大学がまずポリシーとしてUnderpriveledgedな学生の受け入れや多様性の促進に取り組むのは良いことだと思う。最近だと積極的な留学生の受け入れが大学のアピールポイントの一つになり、私の学校ではプレジデントがことあるごとに留学生の数を用いて多様性をしきりにアピールしている。一方で国内生と留学生の間に一定の分断があるのも事実で、さらに多様なもの・人・考えの包括を目指す時にはその強みを最大限に活かすための体制も同時に整える必要もあるのかもしれない。


どのコメントもアメリカの大学、ないし入学システムに関して鋭い視点だと思います。Affirmative Actionの妥当性は、現在でも倫理的や経済的など様々な観点から議論されています。簡単に白黒つけられるような問題ではありません。しかし、前田さんが今回お話ししてくださったことは私たちに新たな知見を与えてくれました。ありがとうございました。

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次回の最終編では前田さんがアメリカの大学を留学して培った考え、思いについて伺いました。名言連発の予感!!お楽しみに!!


20/8/9 sari

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