連載記事「自分だけの進路設計」目次
(1)はじめに
(2)現在のビジョン:ジャーナリズム@リベラルアーツ(この記事)
(3)プロセス1:過去の自己分析から見えてくるもの
(4)プロセス2:エッセイ執筆と将来の自分像
(5)まとめとジャーナリズム教育について
「自分だけの進路設計」第2回目では、出願準備を経て辿り着いた、「自分だけの進路」の具体像を示そうと思います。ここに至る過程の体験談を焦らしているようで申し訳ないのですが、自分にとっては「留学でこれを達成してやる」という現時点の決意表明でもあるので、先に述べておきたいと思います。
ジャーナリズム@リベラルアーツ
まず、「ジャーナリズム」は「ニュースや情報を伝える行為」、「ジャーナリスト」は「形態・媒体・立場を問わずそれを行う職業」ぐらいの意味でとらえています。
自己分析の結果、僕はそうしたジャーナリストに向いた人間だ、なりたいと思ったわけです。その夢のために、具体的に考えついたのは、次の3つの力を伸ばしていくことです。
成熟性
ジャーナリストは国家資格によって管理される存在ではありません(時に国家のような権力もその監視対象だから)が、一種の専門職professionと言えます。国家資格の代わりに「ジャーナリスト」の存在を規定するものとしては、その業務(経験)や技術の他に、個人としての人間性・成熟性もあげられると思います。1メディア会社の従業員だとしても、(日本の新聞・テレビでは見えにくいが)記事には署名が付くし、記事によって誰かの人生を動かすことができるような力を持っているから。
リベラルアーツカレッジは学部生個々人を比較的重んじ、多様な価値観の中での議論を教育の中心に据えています。僕自身の独善的で偏見のあるものの見方を変えていけるであろう環境に入ることそれ自体が、ジャーナリストになるqualificationを与えてくれるように思います。さらに、生まれ育った家を離れ、異文化のコミュニティの中に居場所を見つけていくということそれ自体が生まれ育った場所とは異なる、多様な文化をもつコミュニティの中に居場所を見つけていくということ、それ自体が協調性、自己表現力などの成長をもたらしてくれるのではと考えています。
実践性
この専門職に就くための職業訓練、つまりa. 理論とb. 技術という2種類の専門知識を獲得することです。
a. 理論
とは、弁護士志望者が法思想史、医者志望者が医療倫理を学ぶのと同じように、「ジャーナリズムに関連する法」「報道倫理」「メディアの歴史」のような知識を学ぶことです。
b. 技術
とは、ジャーナリズムの専門性の根源である、文章・写真・映像といったメディアを用いて情報を伝える方法や、その前段階である取材・調査・編集といった活動の実践技術を会得することです。
DePauw UniversityのMedia Fellows Programは、僕がまさに考えていたこの2つの教育を提供する素晴らしいプログラムでした。また、大学の課外活動として、新聞・ラジオ・テレビ・雑誌等の制作に関わるのもよい機会になると思います。(大学の中にいる限り、これらの実践活動は、ほぼ英語を用いて行うことになります。主に初期に課題となるであろう英語力の問題や、逆に日本語力の低下による卒業後の進路の制限など、言語に関してはもっと考えるべきことが残っています。)
専門性
ジャーナリストは社会の中では特殊な専門的な存在ですが、上2つを満たしているだけで、キャリア経験が0の状態では、ただの無印の「ジャーナリスト」に他なりません。ジャーナリストとしての専門性を学問の世界で獲得するためには、他の専攻を選択してその分野を強みとしてしまえばいいというのが僕の計画です。現在の雇用システムが今後どうなるかはわかりませんが、新聞社・テレビ局には、○○部という専門家集団がいますし、完全にフリーライターになるにしても、例えば金融が分かる人間には仕事がより来そうですし、歴史を知るコラムニストは国際関係を深く分析できるし、生物学を学んでなければ環境問題は表面的な理解しかできないのではないでしょうか。現時点では経済学のような社会科学を専攻にするつもりで、副専攻は全く決めていません。しかし、どうせ学ぶのなら専攻では卒論を書くまで深入りしていきたいです。
...以上が、出願準備中にまとまり、今に至るまで僕が考えてきたビジョンです。今考えるとまだまだ曖昧なまま残してある部分も多いですが、それは入学後に考えて決めればよいという思いからそうしています。入学前に全てのロードマップを作ってしまって、以後将来についてその都度考えなおす可能性を排除するのは僕にとっては耐え難いし、実際そのようなスタンスが良く言えば好奇心旺盛、悪く言えば移り気な僕に合っている気がします。一方でこのビジョンの基本的な部分は、例え留学生活が本当に苦しくなったとしても、安易に妥協しないで頑張って守り通さなければいけない価値のようにも思われます。
いずれにせよ、どのようにして僕がこのビジョンを持つようになったか、という一番核心的な部分に、次回からはいっていくつもりです。どうぞこれからもよろしくお願いします!
2017/06/25 kantaro
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