6月上旬、カールトンでの1年生は意外とあっさり終わりました。最後の数日間は段ボールに荷物を詰めるのと期末の勉強とであまりしんみりすることもありませんでした。
「どうだった?」と聞かれても返事に困りますが、やっぱり家を離れて暮らすというのはなかなか精神的に厳しいものだなぁ、と思ったのが正直なところです。もちろん素敵な出会いや楽しい思い出もたくさんありましたが、「ちょっと疲れたかな。思ったよりつらかった。」という面もあります。
特に、カールトンのあるミネソタ州のノースフィールドという町は、治安はよく綺麗な町ですが、何もすることがないのも事実です。都市に出るのも車の無い私にとってはハードルが高く、有料のシャトルもありますが、なんだか面倒になります。
田舎のリベラルアーツの大学に共通することだと思いますが、生徒数が少なく周りに何も無いというのは、時折ものすごく息苦しくなることがあります。1年間も大学にいれば、学生ほぼ全員の顔は認識できるようになりますし、キャンパス内外関わらず、どこに行こうが必ず顔見知りに遭遇します。
だだっ広く、自然に囲まれ、一見リラックスしたメンタルを維持できるように聞こえる田舎あるあるなキャンパスですが、私の場合、段々と閉塞感を感じ、しょっちゅうどこかの都会に逃げ出したくなりました。今まで北京や東京といった大都市で暮らしてきた私にとって、田舎暮らし・2000人規模の大学は思っていた以上にきつかったです。特にミネソタの冬は厳しく、冬学期はだいぶ追い詰められました。
また、小規模のリベラルアーツの大学に通う中で、人間関係を築くことの重要性や難しさに気付かされました。今までは学校と家が離れていたため、家に帰れば家族に愚痴を言ったり、抵抗もなく一人で部屋にいました。これが、寮生活になると、暮らす場所・勉強する場所・ソーシャライズする場所が全て同じキャンパス内になります。今までは家と学校で完全に切り替えることに慣れていた私にとってはこれが一番のストレスでした。
大学1年目にどんな寮・フロア・ルームメイトに当たるかで、1年生としての経験はだいぶ変わるかもしれません。私の場合、substance free(お酒など持ち込んではいけない)フロアに住み、フロアの半分かそれ以上は1年生ではありませんでした。Substance freeのフロアに共通するのは、パーティーなどを主催できないため静かで、あまり住みたがる人がいないためか、個性の強い人や内向的な人が多い点かもしれません(あくまで私の観察結果)。私のフロアは学年にもばらつきがあったためか、フロアとしての結束力はそこまで強くありませんでした。
同じフロアでも何人か仲の良い友人はできましたが、だいぶ時間が経ってからでした。住む寮やフロアによっては、とても結束力が強く、ご飯やパーティー等常に一緒に行動するフロアもあるようです。人見知りな上、あまり社交性のないフロアに住んだ私は、人間関係を築く上で完全に出遅れたような気がしていました。
また、カールトンに限らず、田舎の小規模なリベラルアーツ大学に共通するかもしれない点は、一人でダイニングホールで食べる人が少ないという点です。一人で食べることにあまり抵抗のなかった私も、さすがに周りの人がみんなグループで食べている中では一人飯もしづらく、人の少ない閉まる時間ギリギリに食べに行くこともよくありました。勝手な憶測ですが、田舎の小さな大学で生徒同士が近い距離感を持つためか、生徒はほとんど集団行動で、なんだか一人でいることがいけないことのような気がして、これもまた私にとっては思っていた以上のストレスでした。
ただ、1年生というのは大学生活の中で多分少し特殊な年で、それぞれが友達を作ったり、環境に慣れようと必死な時期なのだと思います。自分では想像もしていなかったような自分の弱点やストレスに直面し、その度にいちいち精神的ダメージを受けるのだと思います。追い詰められていた冬学期や一人で寮の部屋にこもっていた時はこの世の終わりのように感じていましたが、正直1年生というのはきっと辛くて当たり前な上、きっとこれからは少しずつでも余裕ができて、また1年生のときの人間関係が全てではありませんし、なんとかなるかなと感じている今日この頃です。
(ものすごく正直な振り返りになったため、カールトン離れが起きてしまうのではないかとヒヤヒヤしています。実際カールトンは素晴らしい大学です。ただこういう面もあるよ、特に1年生辛かった、というとても主観ベースの記事でした笑)
2018/06/24 かめのゆ
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