リベラルアーツカレッジと総合大学の両方に在籍したので比較してみた Part 2 〜アカデミック編〜

奨学金受給者向けのレセプションの様子。トロント大学Faculty Clubにて。

  

こんにちは。ベロイト大学からトロント大学に編入してから2年が経とうとしている、yuyaです。リベラルアーツカレッジ(以下LAC)と総合大学を比較してみたシリーズ第二弾の今回はアカデミックな面について話していきます(前回記事はこちら)。


きちんとした前提知識のある読者の方は知っているかと思いますが、総合大学には学部の上に大学院が存在します(日本のほとんどの大学と同じですね)。しかし、ほとんどのLACは学士課程しかもっていません。これから大学の学士課程に入学するであろうみなさんには関係ないように見えますが、実はこれが授業形態と内容に大きく関わってくるのです。


目次

  • どちらも基本的に授業は教授が受け持つが…
  • どんな教授にどんなことを教わるかも変わる
  • 研究は大学院に入ってから、では遅い
  • まとめ&次回予告


注1:筆者の編入は他の変数(学生のレベル、大学の立地など)も変化しているので、下記の違いが一概にLACと総合大学の違いと言い切れないこともありますのでご了承ください。

注2:この記事はLACの基礎的な情報を知っている読者を対象にしています。LACについて何も知らない方は「リベラルアールカレッジとは」でググってから戻ってきてください。


どちらも基本的に授業は教授が受け持つが…

たまに、総合大学では大学院生のティーチング・アシスタント(以下TA)による授業があるという言説を耳にしますが、これは半分誤りです。なぜなら、授業の質を担保するにはTAだけでは不十分で、全ての授業に担当教授がいるからです。しかし、この言説が半分正しい理由もあります。


一つはTAと教授が半分ずつ講義を担当するケースです。前半後半で分けることもあれば、隔週で代わる代わる出てくることもあります。このケースは上級生向けのクラスでよく見られ、TAは担当教授のもとで授業内容に関連する研究を行っていることがほとんどです。


もう一つは教授が講義を行い、TAが補講のようなものを行うというケースです。大規模な下級生・中級生向けのクラスでは、100人単位が一堂に会する講義の後30人程度の少人数に分かれ、TA主導で問題演習やディスカッションを行うことが多いです。ちなみに、講義自体にはほぼ出席点は付かず、この補講のようなものに出席点もしくは小テストの点が付きます。


LACでもTAが授業にいることはありますが、授業内での彼らの役割は専らディスカッションや実験時の学生のサポートです。また、上級生向けの授業になると、その授業を取ったことのある人が誰もいないためにTA不在なんてこともあります。


どんな教授にどんなことを教わるかも変わる

LACの教授たちの一番大事なお仕事は学部生の教育であり、研究活動にそれほど重みを置いていない場合が少なくありません。この結果、最新の研究成果・動向が授業に反映されにくいということが起きてきます。研究とはその分野の最前線に立ち続けることなので、研究をそれほどしていないということは、最先端に立ち会う機会が少ないことを意味します。


方や総合大学のほとんどの教授たちは研究活動と大学院生の指導を熱心に行っており、テニュア(終身雇用職)になるための審査でもこれらが重視されています。実は、学部生もこれらの恩恵を受けることができるのです。


例えば筆者の経験では、今学んでいるアルゴリズムがコンピュータ・ビジョンの研究でどう使われているかの話があったり、ほんの2、3年前の論文で発表されたニューラル・ネットワークの構造を宿題で実装してというのがあったりと、日々の授業の中で最先端に触れるチャンスが存在します。


また、学部生でも大学院生向けの授業を取る方法があります。一つはcross-listedといって、学部生と院生が一緒になって受ける講義です。院生も取っていることもあって、先ほどのニューラル・ネットワークのように、最近の研究成果についても教わります。もう一つは特別な手続きを経て院生専用の授業を取ることもできます(筆者はやったことありませんが)。


もちろん、上記のパターンに当てはまらない教授たちも存在します。筆者の研究室と共同研究している教授はミネソタ州のLAC、カールトン大学にいますし、トロント大学にはteaching professorと呼ばれる、大学院生を受け入れずに学部生の授業のみを受け持つ教授も存在します。


研究は大学院に入ってから、では遅い

少々話が脱線しますが、LACの記事を読むとたまに、学部教育のうちに基礎を固めた後大学院に進学するという趣旨の文章を目にします。この情報、あまり鵜呑みにしない方がいいです。なぜかというと、アメリカの大学院のしくみと選考プロセス上、研究の実績がないとそもそもトップ大学院に受かりづらい、もしくは受かっても奨学金が全く出ないからです。


ではまず、大学院のしくみから説明していきます。日本と違い、アメリカでは学部卒で直接博士課程に進学することが可能です。むしろ、研究職を目指すならこのルートが一般的です。


アメリカでは修士課程と博士課程の位置づけが大きく異なります。修士課程は学部の延長のようなもので、講義をいくつか取り、最後にプロジェクトか卒論を完成させれば修士号が授与されます。一方博士課程は研究者の卵を育てる場であり、学生は研究というクリエイティブな活動に従事します。学生は、学会で何本か論文を発表してようやく博士号を取得できます。


実はこの違いが、奨学金を獲得できるか否かに大きく関わってきます。修士課程は授業を取ることがメインなので、授業料を払わなければなりません。しかも、留学生向けには奨学金を出さないと明言している大学が数多く存在します。一方博士課程ではクリエイティブな活動(論文の執筆)に対価が発生します。つまり、大学から給料が出、しかも授業料は免除されます。


この授業料免除+給料は大学にとっては大きな投資です。となると、博士課程の学生を採用する際には、学生が対価に見合う成果を出せるかどうかを最重要視します。それを見極める際に使われるのが、学部時代の研究成果です。実際、学部時代に筆頭著者として論文を一本や二本執筆していないと、コンピューター・サイエンスのトップ校には受からないという噂もあります。


では、学部時代に研究の経験は無いが博士号の欲しい学生はどうなるのかというと、修士課程で卒論などを通して研究実績を残してから博士課程においでと言われます。これが大学院には受かるが奨学金が出ないというオチです。


つまるところ何が言いたいかというと、将来大学院への進学を考えているなら、LACにしろ総合大学にしろ研究ができるところに行った方がいいということです。ですが、一般論で言えば、博士課程を持つ規模の大きな総合大学の方が自分の興味ある研究に触れられる可能性が高いのかなと思います。加えて、論文を書こうと研究している大学院生とうまく関係を築けば、共著者として論文に載せてもらえるというメリットもあります(この点教授同士の共同研究では若干厳しいです…)。


まとめ&次回予告

巷では大学院の存在は学部教育の敵みたいな風潮があります。確かにTAによる授業の一部代行や学部教育にかける労力の少なさといった弊害もあります。ですが、大学院があるからこそできることもあります。例えば、学部生でも特定の分野を深く掘り下げた、大学院レベルの授業を受けられるのは総合大学ならではの強みでしょう。


研究環境は圧倒的に総合大学の方が良いのですが、問題はそのチャンスを手に入れるのが難しいことですかね…(研究室に入るための必勝法はこちら)。ただ一度研究室に入ってしまえば素晴らしい経験を積むことができます。LACでは競争相手が少ない分比較的簡単に研究活動に従事できますが、大きな学会に論文を提出するに至るケースは少ない気がします。ですので、総合的にはどっちもどっちという感じです。


以上でアカデミック編は終わりです。最終回となる次回はLACと総合大学を比較する際に誤解されがちなことをまとめていきます。


2020/4/12 yuya

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