アメリカオハイオ州・リベラルアーツカレッジでの、四年間の留学生活がもうすぐ終わりそうです。シェアブロードでは、アメリカに旅立つ前から、一年目、二年目と、学んだことや感じたことを書いてきました。
今回は、直近の一年というより、アメリカに旅立ってからの四年間から得たことについて書きたいと思います。
就職活動を通して過去を俯瞰的に振り返ったこともあり、自分自身や、大学生活についてさまざまな気づきを得ました。進路に悩んだり、悩みながら進むみなさんの、参考になれば嬉しいです。
目次:
- 東大が嫌で、アメリカを選んだ
- 成長とは、自分の力で考え、答えを出す力
- 過程には、成功も失敗もない
- 私たちは、誰かの物語の脇役であり、自分の物語の主人公である
- 最後に
東大が嫌で、アメリカを選んだ。
私は、高校二年生の秋まで、東京大学を目指していました。それは、私自身が東京大学に行きたかったからというより、周りや先輩たちが目指していたからです。一言で言ってしまえば、偏差値が一番高い大学だったからです。
その後さまざまな出会いからアメリカの大学へ進学することになったのですが、就活でその理由を問われたとき、「東大では自分の幸せが見つからないと思ったから、アメリカの大学に行った」と語りました。より多様な、より好きなものを集中して学べる場所だからと。
たしかに結果的には、多様なバックグラウンドの友人ができ、多様性について学び、そして自分が好きだと思える哲学を思いっきり学ぶことができました。しかしそれは、東京大学よりアメリカの大学が優れているからというわけではなく、私自身が変われた、成長することができたからだと思います。
シェアブロードにも、海外大学を目指していたけれど日本の大学に進学し、海外大学への受験経験を活かしながらそこで自分のやりたいことをやっているメンバーがいます。リベラルアーツに進学したけれど総合大学に編入した人、途中で休学した人もいます。
たくさんの同期がシェアブロードに協力してくれましたが、誰一人として同じ道を辿った人はいません。それは、日本の大学でも、この先も同じことでしょう。私たちの個性は、私たちの人生は、進学した学校の名前だけで語れるほどちっぽけなものじゃないからです。
成長とは、自分の力で考え、答えを出す力
では四年前と比べて、私自身はどう変わったのか。何をもって成長したと思うのか。その答えを一言でいうと、自分の力で考え、選ぶことができるようになりました。
周りのみんなが選んでいるからでも、誰もが良いと言う選択肢だからでもなく、自分が魅力を感じる選択肢だからとアメリカの大学へ進学することを選び、始まった四年間。
授業は自分で興味があるものを選ぶし、休みの過ごし方、毎日の過ごし方も自分次第。二年生からは、良い成績を取ることよりも授業で学ぶことが大切である、三年生からは大学の授業よりも自分が今学ぶべきことがあると、選択肢がどんどん広がっていきました。
それはキャパシティが広がったからでもあるし、自分の人生に真摯に向き合い、自分だけの優先順位を持つことができるようになったからでもあります。
また、世界や周りのことを考えて、選択できるようにもなりました。「女性差別なんてない」と思って日本を旅立った私は、フェミニズムやレイシズムなど、様々なイズム(差別)に加害者として、被害者として、俯瞰者として、触れました。
それは直接的なものだけではなく、毎日の些細な当たり前だと思っている行動が、構造的な差別に加担している場合も含めてです。自分にコントロールできないたくさんの不平等を知ることで、自分にコントロールできるものを認識し、逆に自由度が高まりました。
限られた影響力の中で、社会をどうするか、自分は個人として大きな問題にどう向き合うかを考える、スタート地点に立つことができたからです。
過程には、成功も失敗もない
私たちには、失敗することを恐れて、一歩踏み出せないことが多々あります。海外大学に進学するか迷っていた頃の私も、アメリカの大学と日本の大学どちらが「正解」か分からず、悩んでいました。
でも、失敗って、なんでしょう。
私は「自分の力で考え、選ぶ」ことができるようになってから、その時のベストを尽くして選択すれば、失敗することはないと思うようになりました。
周りの人は、あなたの選択が成功だったか、失敗だったか、結果で判断します。お金を稼げたかとか、人の役に立てているかとか、あなたが幸せそうかとか、様々な軸に基づく結果で。
でも、私たちの人生は、ほとんど過程でできています。合格とか、入賞とか、出世とか、結果はあれどそれは点で、私たちの人生はほとんど、その点と点を繋ぐ線でできています。結果に着くまでに、どんな道を辿るのか、その過程にどんな意味を見出すのか。
それは多くの人が注目しないけれど、あなたの人生のほとんどを作り上げる大切な線です。
私は就活を通して、改めてこのことを実感しました。例えば学歴でエントリーシートをフィルタリングするという話がありますが(大企業の中で学歴を気にしないところもたくさんありました)、これはどれだけ受験勉強に真剣に向き合ったかよりも、結果的にどの大学に進学したかということに重きを置いてあなたの価値を判断されているということですよね。
けれど、私はアメリカの大学受験を通して得た、偏差値だけではなく考え方や成績・課外活動などさまざまな観点から自分を統合的にアピールするスキルや、夢に向かって突き進む仲間との出会いの方が、結果的にどの大学に合格をもらったかよりも私の人生に影響していると感じます。
その点だけを見て、例えば「受験に失敗した」と何度も他人に判断されていたら、頑張ったことは意味がなかったのかなと思ってしまいますよね。
でも線(その結果までの過程)が満足するものになったのであれば、どんな点(結果)になろうが、それを周りの人にどう見られようが、それは少なくとも失敗ではないと、私は思います。そして、その線の引き方にも注意すべきことがあります。
私たちは、誰かの物語の脇役であり、自分の物語の主人公である
以前見たドラマの最終回に、逮捕された猟奇犯が警察官に、幼少期の悲惨な過去が事件を起こした理由かと尋ねられるシーンがありました。そこで犯人は「オレはお前たちの物語にはならない」と言い放ちました。
「悲しい過去があったから、悲しい事件を起こした」というわかりやすい因果関係で自分を説明するような、誰かにとっての娯楽や納得のための物語にされたくないという意味のセリフだと解釈しました。
この言葉は私にずっと残っていて、そして私たちがこれからも心に留めておいた方がよい考え方だと思っています。
海外大学受験や就職を終えたとしても、社会的に成功すればするほど、私たちが「どんなことをしてきて、どんな考えを持つようになったのか」を人に話す機会は増えます。それは、自分を題材に、他人に向けて物語を紡がなければいけない、点をつながなければいけない場面ともいえます。
就活で何度も面接や面接練習をしてわかったのは、面接官や読者は、わかりやすい物語を好むということ。失敗には意味があった。苦労をしたから今の自分がある。運命の出会いで、未来が変わったなど。
アメリカの大学へ進学した理由として、「まず高校のOBさんからその選択肢を聞いて。私自身はずっと留学をしてみたかったから、文理選択に違和感を感じた時に留学ができてさらにリベラルアーツという仕組みがあるということに感動して…」という実際の流れや、私の行ったり来たりの葛藤は興味を持たれないんです。
求められているのは、「学歴社会から抜け出したかったからです。」という端的で気になる回答。紆余曲折ではなくて、「ずっと日本で暮らした高校生→学歴社会から抜け出したい→アメリカの大学へ進学」というわかりやすい物語を、多少脚色があっても伝えることが面接のコツでした。
それも当然で、みんな、自分の物語を生きるのに忙しいのです。脇役が主役のスピンオフドラマは一話で十分。主人公を勇気付けるために、わかりやすい希望を持てる物語があればいいのです。
これは面接だけでなく、あなたが将来本を書くとき、インタビューされるときにも同じことが言えるかもしれません。なんだか違和感を感じる、わかりやすい物語に自分の人生がまとめられる感覚。自分でまとめることを求められる感覚です。
そんな感覚を味わった私が今高校生に言いたいことは、他人に見せる物語と、自分のためだけの物語を、きちんと分けて欲しいということ。そして未来の選択をする際に、自分が主人公の物語に向き合い続けて欲しいということです。
人生には、全く意味がなかったただの不幸。自分に何の影響も与えなかったけど、楽しかった時間。理由はわからないけど、なんだかやってみたものが、存在します。
リアルな人生の、わかりづらい物語。点と線で説明するなら、点を直線で結んだら通らないけれど、確かに存在した曲線みたいな。
それをなかったことにせず、自分のために残しておいて欲しいのです。それは、すぐにメリットも理由も説明できない、自分の直感に従うための勇気に変わるから。
私自身、就活で何度も何度も同じように自分の過去を話して、「あーこれ、記憶が改ざんされそうだな」と危機感を抱きました。
あたかも、海外大学に行くべくして行ったかのような、その選択肢を知って、自分にぴったりだったからすぐに進学することを決めましたみたいな話ばっかりしているから、実は「良い大学行かないと就職で不利になりませんか?」ってカウンセラーに相談していたことや、どうしたらいいかな?と友人に聞いてまわったこと。日本の大学もギリギリまで保険で受けておこうとしていたことを、忘れてしまいそうだなと。
忘れてしまったら、次挑戦したいと思った時に、こんなに迷っているし今までのキャリアともズレるからと、やめてしまうかもしれません。
だから、面接では一度も話さなかったけれど、これから誰にも話さないかもしれないけれど、「不安で迷ったと同時に、未知の世界になんとなくワクワクしていた」という本当の理由を、自分のための物語として取っておこうと思いました。
それってきっと、すごく大事なことのような気がするんです。
最後に
高校生の皆さんはこれから、たくさん考えた結果、また合否によって、自分が思っていなかった進路に進むかもしれません。そして、その進路がどう社会に貢献できるあなたを作ったのか、あなたを幸せにしているか、他人に説明しなければいけない時が来たとします。
優しくて素直なあなたは、他人のために物語を紡ぐでしょう。それは失敗だったけれど、こんなことを学んで、今の自分があるとか。けれど、それを「失敗」として語る必要もないし、失敗から毎回成長する筋合いもないし、その物語の延長線上に進む必要もありません。
過去は過去。私たちは新しい今を足し続けることで、新しい過去を作っています。もし自分の物語が他人に評価されない日が来たとしても、どうか過去を否定しないでください。
他人に向けて紡いだ物語の評価には、わかりやすいかどうか、その人が好きな物語かなど、あなたの価値とは別の要素が絡んできます。あなたには自分のためだけの物語があるし、その物語だって、あなたがどんな今を積み重ねるかで変わっていきます。
あなたはたしかに頑張った。たまに弱気になったり、怠けたり、無知だったりしたとしても、きちんと頑張ってここまできた。それを忘れずに、そこからどんな意味を見出し、これから意味を作っていくか、長い目でゆっくりと、けれどしっかりと向き合っていきましょう。
アメリカでの四年間は私にとって、世界を広げた、自由を手に入れた四年間でした。そういえば、英語は流石にできるようになるだろうから、就活で学歴が足りないと評価されても、その時は英語教師になればいいやくらいの覚悟を持ってアメリカに渡りました(英語教師を馬鹿にしているわけではなく、英語ができるようになる以外の期待をすべて否定してでも行きたかった)。
そう考えると、英語以外のもの、たくさん得られましたね。そして今は気づけていないこの四年間の意味が、これからも見つかることでしょう。
進路に迷っているあなた、進路が決まってこれから旅立つあなた、旅路を進んでいるあなた。社会からの評価が良くても悪くても、それに縛られないで。よりよい自分の物語が紡げますように。そう心から祈っている人がここに一人いること、辛くなったら思い出してください。
2021/5/15 amu
P.S. 卒業した人のように記事を書きましたが、実は就職活動のため一学期間休学したので、もう一学期アメリカで大学に通ってから卒業します。秋から進学の人は、一緒に頑張りましょう。私ほど日本でガッツリ就活している海外大生も珍しいと思うので、就活の話を聞きたい人は、ぜひ連絡してください。
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